2005年 夏 全国大会
愛知県から群馬県に場所を移し
全日本ジュニア綱引選手権大会が開催されました。
初の360Kgクラス参加…
絶対負けるわけがないと思い上がった気持ちと自信を、
完璧に打ち砕かれる大会になるとも知らずに・・
意気揚々と群馬県前橋市
「ぐんまアリーナ」 へ乗り込みました。
絶対勝てると勘違いした監督のもと、挑んだ準決勝戦…
歯を食いしばり
苦痛に顔を歪め
相手の力に屈することを拒み続けた子供達…
1分38秒 ついに力尽き…
つらく、苦しく、長い時間が終わりました。
茫然自失、泣いている子供も。
「まだ、3位決定戦がある、きりかえろ」
と言っている自分が一番きりかえられず、敗北を引きずったままでした。
一人の選手が泣きながら、震える掌を見せ
テーピングをしてほしいと…
見ると、手の皮がめくれあがっていました…
「できるんか?」と聞くと、泣きながらも
「やりたい、できる」っと。
手の皮がめくれても我慢し、綱にしがみついていた子供達。
つらい試合だったことを、震えている掌が物語っていました。
俺はいったい何をやってんねやろ…
子供らぼろぼろになっとるやないか…
誰や!うちの子供ら泣かしたやつわぁ…
…子供達を泣かせたのは、ほかでもない
傲慢で退廃し、ゴールを見失っていた私自身でした。
320Kgしかなかったから
選手が入れ代わり練習が詰めれなかったから
言い訳を探せば、いくらでもありました。
しかしそんなことではなかったのです。
どん底の精神状態から三位決定戦へ挑む子供達の姿には
気持ちを揺さぶられる 「何か」 が確かにありました。
試合終了後…
どうにか繋ぎ止めていた気持ちの糸が切れたのでしょう
レーン場で、そして控え場所で
人目もはばからず鳴咽し、悔し泣きする子供達…
かける言葉もみつからず、ただただ、共に泣く事しかできませんでした。
しかし、この敗北から
学んだ事、得た事は、果てしなく多く、そして大きい。
そして、この敗北を糧に
翌年の全日本ジュニア360Kg優勝まで
全大会、全試合一本も引かれる事なく、1年間無敗を続けた子供達。
あほ監督に成長力をみせつけてくれた子供達。
2005年夏の全国大会は間違いなく
チームにとっても、子供達にとっても、そして私自身にとっても
大きなターニング・ポイントになった大会でした。
2005 夏
MJ3 第三位 鈴小綱引クラブ